神戸まちづくり研究所 野崎隆一先生の講演に参加した。阪神・淡路大震災に始まり、東日本大震災、熊本地震、昨年の能登半島地震まで数々の災害復興支援をしてきた野崎先生のお話から、建築家の災害支援の取り組みやその姿勢について多くの示唆を得た。私が現在関わる気仙沼の鹿折まちづくり協議会の立上げは、野崎先生であり、建築家としてはもちろん、災害復興支援を行う大先輩、レジェンドである。
□野崎先生の講演から個人的メモ:
- 阪神・淡路大震災時、士業(弁護士、土地家屋調査士、建築家等)連携して相談業務に取り組んだが、3年もすると相談もなくなり、士業同士の利害が対立する様になった。
- 士業の連携が行き詰まっていた時、既存の支援体制の枠を越えることを目指し、東京でシンポジュウム(近畿災害対策まちづくり支援機構/2002年2月)をおこない、それが縦割りの専門性を横につなげ、全国にまちづくり支援機構が広がるきっかけとなった。
- まちづくり協議会の立ち上げは、初めは避難所での車座での話し合いから、住民から行動を促すことが大切。
- まちづくり協議会の発足時には、住民による合意形成を作ることが大切。そのためには、運営ルールの制定(規約つくり)、会議の透明性のため広報活動が大切。そのことで、役所も「住民の総意」だと理解してくれる。
- まちづくり協議会をつくった後大切なのは、
・広報活動(すべて記録に残して行政と共有すること)
・地域の人に目に見えるものことをすること
・まち歩きをして、過去のまちのいいところ、よくなかったことを確認し、話し合いを通して、過去のまちの何を残したいのかがはっきりする - 合意形成の困難な壁をどう乗り越えるかが課題となる。まちづくり協議会の目的は、「まちの未来像」につなげること。地域のコミュニティがしっかりしていたら住民の意見を見落とすことが少なくなる。
- 合意形成とは、役所、コンサル、建築家の示す最良計画に賛同を集めることではなく、みんなで話し合い多様な希望に答えを出すことである。
- 専門家の役割は、一緒に考えること。共に考えるアクティビストがもとめられる。
- 臨床哲学の鷲田清一氏の言葉の紹介:専門家とは
・代わりにしてあげるのではなく、一緒に考えるひと
・サポートではなく、エンパワー
・正しい情報は最良の判断へ導く、正確でわかり易い情報を伝えること - 被災者とは、弱い可哀想な人ではない。「復興の当事者で主人公」である
- まちづくりは、民主主義の学校である
- 今年の災害復興学会でも話題になった「Negative Capability」(堪える力、待つ力)が大切。例えば、今の能登は、復興が遅れていると言われているが、見通せない状況に、早急に結論を出さず、未知の状態を許容し、受け入れる能力が必要ではないか
- まちの未来像を考える際に建築家は、具体的なハード整備の功罪を考えるながら、まちの景観、風景の大切さを理解し話を展開できる。これこそ強みである
- 東京では、マンションの建て替えが、復興時に問題になる。マン建て法(マンションの建替え等の円滑化に関する法律)の弊害がある。大きく作って(容積を稼いで)負担を減らす考えは人口減少時代に当てはまらない。小さく建てる方法もあるのではないか
- 専門家が、大きな災害だけに向き合うのはおかしい。火災など地域で起こる小さな災害にも関わるべきである。火災時の火元責任とコミュニティの話し合いでは、課題も多く、専門家の支援が求められる
□私からは、災害時と平常時をつなげるまちづくりの活動について質問
野崎先生は、現在でも神戸4地区のまちづくりに関わっていること、大切なのはイベントをしてたくさんの人に参加してもらうこと、繰り返しイベントを行い、顔見知りを増やす、そのことが防災につながる。私はあえて防災と言わない様にしているとのこと。
平常時では、防災をキーワードにしないまちづくりのあり方に感銘をうけた。防災の域を超え、平常時に自然体で地域に関わっている建築家としての姿が素晴らしいと感じた。
講演会には、不覚にも少し遅れて参加、私はたくさん質問できたが、会場が明るくなり、話題が白熱するたびに、傍聴には中林一樹先生、吉川仁先生、石川永子先生、岡本正先生など名だたる先輩方がいらっしゃることがだんだんわかってきて、冷や汗がでた。💦 野崎先生には講演後挨拶ができ、「鹿折まちづくり協議会をよろしく」とお言葉をいただき身が引き締まった。
